ハンスリック「音楽美論」


ハンスリック「音楽美論」(渡辺護訳、岩波文庫)読了。

これは1854年に初版の出たもの、つまり150年も昔の本だ。内容的に古いのは仕方がない。とはいえ、このころは古典派もロマン派も出つくした時代で、音楽史の上ではとりあえず一段落ついた時期であるといえる。そういう時期に、とくに古典派を念頭において書かれた一種の批評文であると考えるならば、この本はいまでもなんらかの命脈をたもっているといえるのではないか。というのも、いわゆるクラシックの聴衆はいまだにこの時期のものを中心にして聴いていると思われるからだ。

ハンスリックの所論は、とにかく「情緒的に音楽を聴くな」ということにつきる。彼によれば、音楽の本質は感情を表現することではなくて、純粋観照(純粋直観とも訳しうる)のうちに構築されるべき悟性的(あるいは精神的)ななにものかである。いまふうにいえば、「右脳で聴かずに左脳で聴け」ということか。とはいうものの、標題にあるような「音楽美」については積極的にはなにも語られていない。

私見を述べれば、このハンスリックの理論は、この前の日記に書いたヴォリンゲルの「抽象と感情移入」の観点を導入することによってさらに肯定的にふくらませることができると思う。いまの音楽美学がどうなっているのかはしらないが、大筋においてはそういう方向で発展してきているのではないだろうか。もっとも、美学というのもいい加減きわまるもので、せいぜいが個人的な学の域を出ないものだ。それは思想などというものではなくて、むしろ趣味と呼ぶべきものだろう。

しかし、個人的な学であり趣味であればこそ、美学というものは大切にされるべきだともいえる。世の中には思想なんてどうでもいいが、自分の趣味だけは譲れないという人も多いだろう。この場合の趣味とは姿勢(あるいは態度)の問題であり、けっきょくのところ倫理に行きつくべきものだ。つまり、美の問題は倫理と切っても切れない関係にあるのである。……

まあ、そんな屁理屈はともかく、美学はそれ自体としておもしろい。古典的なものは岩波文庫で読めるので、今後も手当たり次第に読んでいきたいと思っている。