ヴォリンゲル「抽象と感情移入」


ヴォリンゲル「抽象と感情移入」(草薙正夫訳、岩波文庫)読了。

これはいまからちょうど100年前に発表された論文で、この種の本としては異例の成功をおさめたらしい。この成功の理由はなんだろうか。もちろん内容が画期的だったこともあるだろう。しかし、それ以上に、「感情移入」の対概念として「抽象」という言葉をもってきたこと、ひいては「抽象と感情移入」という題名をつけたことが、おおかたの「勝因」ではなかったかという気がする。

「あとがき」によれば、美学上の感情移入説というのはヴォリンゲル以前からあったらしい。ヴォリンゲルはそれに対するアンチテーゼとして東方芸術(具体的にはエジプトの装飾芸術)を取りあげる。そしてそこに「様式化」の衝動をみとめて、これを「抽象」と名づけた。この着眼点がまず非凡なわけだが、よくよく考えてみれば、「感情移入」に対して「抽象」をもちだすのはちょっと論点がずれているような気がしないでもない。しかし、この「ずれ」が論を展開する上での大きな原動力になっているのも事実だ。波と波とが干渉しあって、より大きなうねりを生み出しているといえばいいだろうか。そして、そのうねりの絶頂にあるのがゴシックの寺院だ。

まったく、ゴシック寺院というのは世界の八番目にして最高の不思議(驚異的建造物)だと思う。もしかしたら、ヴォリンゲルはゴシック建築を眺めていて、そこから抽象と感情移入という対概念を発想し、それを過去に逆照射したのではなかろうか。彼がゴシックに並々ならぬ愛着と関心とを抱いていたことは、この論文を書いたすぐあとに「ゴシックの形式問題」という本を出していることからもうかがえる。ちなみに、これには中野勇の邦訳がある(昭和19年、座右宝刊行会)。

ところでこの「抽象と感情移入」だが、もしこれから読んでみようと思う方がおられたら、まず訳者の「あとがき」を先に読み、次に「付録」を読んでから本文にとりかかることをおすすめする。そのほうが内容がストレートに頭に入ってくると思われるからだ。