橘外男「君府(コンスタンチノープル)」


橘外男「君府(コンスタンチノープル)」読了。これは「伝奇耽美館」(桃源社)と題された本の後篇だが、前篇の「ウニデス潮流の彼方」とはなんの関係もない独立した物語だ。あるドイツ婦人の回想録のようなもので、一人称による語りというスタイルをとっている。

私は男性作家の書くこういうスタイルに弱い。というのも、こういう書き方はどうしてもポルノ的な興味に結びつくように思われるからだ。サドの「悪徳の栄え」を初めとして、こういうスタイルで書かれたポルノの傑作は数多い。この前書いたホフマンにも「尼僧モニカ」というこの手の物語がある。宇能鴻一郎の告白体小説もこの系列に属するものだろう。

といっても、「君府」がポルノだというわけではない。一箇所だけ猛烈な部分があるが、それも作者のグロテスク趣味のせいで扇情的というにはほど遠いものになっている。全体の印象はむしろデフォーの「モル・フランダース」に近い。たとえば、「君府」の最後のほうにこんな記述がある。

「陋巷貴金属工の娘と生れて、踊子より一躍盛名全独逸を圧する軍需工場家ヨーゼフ・ケルレル夫人となり、再転誘拐せられて逆境のどん底に沈み、三転溢るる才智と美貌を以って勢威並びなき後宮の支配者として返り咲き、四転再び逆境に沈淪して亡命の後は、才筆を奮ってバルカンに垂れ込むる列強裏面の葛藤を暴露して全世界を驚倒せしめ、五転遂に毒に伏して二十九歳の波瀾重畳たる生涯を閉ず」

これを読めば、どうしても「モル・フランダース」のタイトル・ページを思い出さないわけにはいかないだろう。

それにしても、こんなありうべくもない話を長々と書く作者の才筆には恐れ入る。見たこともない外国の情景を、あたかも見てきたかのように語って、しかもそれが荒唐無稽におちいるどころか、活き活きしたリアリティを感じさせるのだから、これはもう一種の天才といってしまってもいいだろう。

シュルレアリスムの用語にデペイズマンというのがある。これは本来「異郷に身をおく」という意味だ。「青白き裸女群像」とこの「伝奇耽美館」を読んだかぎりでいえば、橘外男には「デペイズマンの巨匠」という呼び名がいちばんぴったりしているような気がする。