ホフマン「牡猫ムルの人生観」


けさ、胸の上に猫?がそっと乗りかかってくるような気配に目がさめた。いや、そんなはずはない、あの猫は死んだのだから、とそう思ううちにも、猫がそっと胸の上にのぼってくる感覚はあまりにもリアルで、とても夢とは思われない。これはいったい何事かと待ち構えていると、いきなり左胸に途方もない重みと痛みとを感じて、思わず飛び起きた。ううむ、これがいわゆるドルド圧しか。そういえば、きのうの晩「三つのゴシック小説」の表紙をアップしたっけ……まあ、関係ないとは思うけれども、いちおう書いておく。

さて、猫が死んだからというわけでもないが、長らく積読だったホフマンの「牡猫ムルの人生観」(秋山六郎兵衛訳、岩波文庫)をようやく読了した。先月のなかばから読み始めていままでかかったのだから、当然あまりおもしろい小説ではない。しかし、つまらないかといえばそうでもない。いわゆるホフマン的なるものは随所に見出される。ただ、そういった小道具がうまく機能的に作用していないような気がするのだ。これは一種の音楽小説としても読むことができるが、全体を貫くトーンはチンドン屋のそれのように調子っぱずれで騒々しい。

どうも私はホフマンのある種の作品、つまりこの「牡猫ムル」とか、「クライスレリアーナ」とか「ブランビラ王女」といった一連の作品にはなじむことができない。どこがおもしろいのかよくわからないのだ。しかし、ボードレールはこういった作品を書いたホフマンに「神のごとき」という形容詞をつけて賞賛している。こうなると、非は自分にあるとしか思えない。

まあ、どうがんばってもまともな感想は書けそうにないので、この小説についてはこれくらいにしておく。いずれは筋もなにもかもきれいに忘れて、ただ「読んだ」という記憶だけが頭の片隅に残ることになるだろう。「クライスレリアーナ」や「ブランビラ王女」のように……