「三つのゴシック小説」

sbiaco2006-01-14



この前コメント欄にちょっと書いたペンギン・ブックスの「三つのゴシック小説」を手に入れる。この手のペーパーバックは本体よりも送料のほうがずっと高い。損をしたような気がしないでもないが、所収の「オトラント城」は未読だし、なによりもマリオ・プラーツが序文を書いているので、思いきって買ってしまった。

イギリスから来る古本には独特の匂いがある。つんと鼻をつくような、なんとなく化粧品くさい匂いだ。私はなぜかこの匂いが好きで、本に顔をうずめるようにして嗅いでみる。そうしていると、わずか十日ばかり滞在しただけのロンドンのことが鮮明に思い出されてくる。誇張のようだがほんとうの話だ。匂いにはそれほどつよく記憶を喚起するなにかがある。

さて、この本には三つのゴシック小説、すなわちウォルポールの「オトラント城」、ベックフォードの「ヴァテック」、シェリー夫人の「フランケンシュタイン」が収められている。プラーツはこれらの作品を「ゴシック小説の三幅対(トリプチック)」と呼ぶ。この選定は奇しくも平井呈一のそれと合致している。ゴシック小説は無名のものも数えるとかなりの数になるが、同工異曲のものも多く、そこに厳密に「選別と排除」を加えていったなら、この三つの小説しか残らないのかもしれない。それだけに、この三つの小説にはゴシック小説のあらゆる道具立てがそろっているともいえるだろう。

この三つのうちで未読のものは「オトラント城」だけだ。この作品には平井呈一の翻訳が二種類ある。どちらも名訳のほまれ高いものだが、なぜかいままで手に取る機会がなかった。平井呈一は私にとっては「大ロマン」の人で、あまり文体上の細かいことにはこだわらないような印象があるが、彼のもうひとつの面として、ハーンの訳などにみられる、彫心鏤骨ともいいたいような精緻な仕事がある。で、「オトラント城」の訳は、どうも後者の部類に入るようなのだ。どうもとっつきにくいような気がするのは、そういったこともあるのかもしれない。

プラーツの序文は期待どおりのおもしろさだった。これは1968年に書かれたものだが、その引用のうまさも、やや強引な観念連合も、カタログ的な羅列方法も、1930年の名著「ロマンチック・アゴニー」の書き方とあまり変っていない。彼の文を読んでいると、未知の書名や未読の本がいっぱい出てくるわけだが、そのどれもが既知のもの、なじみのもののような、妙に親しみやすい相貌をとってあらわれる。その点では、「異化」の反対の、「同化」の巨匠といってしまってもいいかもしれない。