関口存男「独作文教程」


大枚はたいて購入(三修社、POD版)*1。まだざっと一瞥しただけだけれども、なにしろ古い本なので、レイアウトその他、およそスマートとはいいがたい。ただその分、なんともいえないごつごつした手作り感があって、読めば読むほど味わいがましそうな、と同時にドイツ語の力もつきそうな感じがする。

任意のページを開いてみると、たとえばこんな作例がある。

「人間の指という奴は恐らくありとあらゆる道具中最も玄妙不可思議なものであるが、これ在るが為めに吾人はどんなに多くの道具を発明せずに済んで来たか知れないのである」

こんなものをいきなり訳せといわれても無理。で、横にある訳例をみると、

Die menschlichen Finger, wohl das wunderbarste aller Werkzeuge, machen eine Unmenge von Instrumenten ueberfluessig, die wir sonst haetten erfinden muessen.

となっている。なるほど和文独訳の実際とはこういうものかと思う。「その発想はなかった」というしかない。しかし、「その発想」に驚いているようでは、ドイツ語が身についているとはいえないだろう。そういう「発想」の基盤(著者はこれを「意味形態」という言葉であらわしているようだ)に立ち至るための手引きとしてこの本が役にたてばいいと思う。

ところで、この本は課題文がまた一風変っていて、これだけ読んでも暇つぶしになる。目についたものをいくつかあげれば──

  • かれの翻訳には、私の見るところでは、毎頁に二個所、三個所、否時とすると四個所五個所の正訳が見受けられる。
  • 数学は、たとえ初めからわかり切ったとまでは云わないにしても、少くとも初めからわかり切っている筈の事柄に関する学問である。
  • 君も相当長らく新聞記者をやっているから知っているだろうが、報道されないうちは事件というものはまだないのだ。世界は新聞が出て初めて存在するのだ。
  • 人間には耳が二つあって口は一つしかないが、これは多く聴いて寡く喋舌れという意味である。
  • 開けてすら見るだけの暇もなければ気もない癖に次へ次へと書物を買わずにいられないと云うのが、これがインテリの共通心理である。
  • 愛というものは一種変なものだ。求めようとすると見出せない。与えると豊富にかえって来る。
  • 哲学するとは、本当は概念で考えられぬことを概念で考え、本当は言葉で言い現わし得ぬことを言葉で言い現わす事である。
  • 神の全能にも限りがある。如何となれば、神は内角の和が二直角よりも小なる三角形を構成することが出来なかったと同様に、禍のなき世界を創ることは出来なかったのである。
  • 「もし日本語に関係代名詞があったら、吾人の思惟技巧はもっと高い水準に達していたろう」という人があるが、これは考え方が間違っている。正しく云おうとするならば、此の命題はむしろ「もし吾人の思惟の技巧がもっと高い水準に達していたら、恐らくは日本語にも関係代名詞、或いはそれに類するようなものがあった筈だ」と云い現わすべきところであろう。
  • たとえどんな馬鹿でも、大臣に任命されれば結局大臣だ。彼の頭は一夜にしてある種の後光がさす。たとえどんな偉い人間でも、大臣でなければ、結局大臣ではない。後光はささない。よしんばどんなに頭が禿げていても。
  • 哲学のために宇宙の謎は解決される所かむしろ益々込み入って来るのみである。
  • 愛すると好きとは必ずしも一致しない。僕は僕の妻がまだ好きだ、然し愛しているとはもはや云い難い。
  • 四週間では到底一つの外国語を習得することはできない。

まるでリヒテンベルクの箴言でも読んでいるような気にならないだろうか。

*1:この本の入手については、二人の方のお世話になった。ふたつ前の記事参照